木工テキスト
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家具職人はダンサーに似ている
目指すは振付師
家具職人に近い職業は何か。これはときどき語られるトピックで、多くの場合、料理人が近いと言われる。いくつかの素材を加工し、五感を使って、お客に喜ばれるものを作ろうとするあたりは、たしかに似ていると思ってきた。
でも、今日映画を見ていて、ダンサーが出てきて、そのダンサーはすごく踊るのが上手いんだけれど、「私は振付師になりたいの」と入ったときに、木工に似ている。家具職人に似ていると思った。
きっとダンサーの中にも、いろいろな人がいて、とにかく踊っていられればいい。振り付けは誰かが考えてくれればいいというタイプや、その反対に、とにかく躍らされるのは我慢ならない。すべて自分で踊る内容を決めたいというタイプがいるだろう。その間に、求められる踊りを実直にこなしつつ、自分のスタイルを求めていく、あらゆる経験を血肉にして、新しい、だれも見たことのないようなダンサーになろうとしている人達がいる。木工も同じ。振付師のように、デザイナーがいる。彼らの発想をぼくら家具職人が形にする。そこには技術がある。センスも必要とされる。家具を作れないデザイナーはいっぱいいるけれど、踊れない振付師はあまりいなさそう。それでも、発想やコンテンツにどれだけ関わるかの度合いをそれぞれが選べる自由がある気がする。
ここBonburuでは、工場長と岩田さんがデザイナーであり、また木工職人でもある。ぼくは木工職人だけれど、デザイナーにもなりたいと考えている。
工場長の古賀さんが当初から目指していたのが、デザインできる家具職人であり、振り付けのできるダンサーだったのだろう。–
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ものづくりの先
オリジナルであることだけでは・・・
ぼくらは、毎日毎日、木屑にまみれて家具を作っている。年賀状にも「相変わらず、木屑にまみれて木工しています」と一言添えてる。1日の終わり、手は汚れていて、作業着のひざのところには塗料のシミができている。
触って、その出来を判断して、満足するような産業に従事していると、ときどき未来を描けなくなることがもちろんある。
工場長はそんなぼくの弱気を全く寄せ付けない勢いでオリジナルの家具を産み続け、副工場は物理法則を無視するかのように素早くそれを形にしていく。
材料は海外から輸入された木材だ。価格は高騰している。でも、この二人なら生き残っていく未来が見えるし、そこについて行きたいとは思う。でも、自分はなにもしていないのでは、といった答えを求めていない疑問を、ときどきだけど抱いてしまうのもの事実だ。
ぼくなりに、このさきのものづくりを成立させなければとやっぱり思う。確かなことは、この椅子を部屋に置きたいと思わせることがゴールだとするなら、価格や効率以外のことをかんがえなければいけない、ということ。その二つを極めながらも、自分の家具作りをきちんと成立させる魅力を作り続けなくてはならない。
それはかっこよさかもしれない。座り心地かもしれない。作り方かもしれない。材料かもしれない。地域との連携かもしれないし、売り方かもしれない。木工を続けるためならなんだってやる覚悟はあるけれど、何をやったら良いのか・・・
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アイディアを出さない
他の人のやり方100%でやってみると楽しい
治具についての話なのですが、ぼくは他の人の治具をそのまま使うタイプです。その治具を作ったのが工場長なら、使い方を聞くなりして、工場長の意図を読み取ろうとしながら作業をします。その治具を改良しようとか、まったく別の治具を作り直すとかはまずしません。
逆に、人の治具が使えないというタイプの人もいます。自分が思いついたやり方の方が良いと思えば、そちらを採用する。もちろん、そういう部分はぼくにもあります。ただ、ぼくはそれはすごくもったいないと思うのです。人の治具を使うと、見ただけではない意図があるものです。なるほどと思うことがけっこうある。その治具の製作者と同じ風景が見られる感じ。そういう経験を何度もしているので、とくに最初のうちは、自分のアイディアを出さないというのも手だと思います。作業の仕方の改善は、その次の製作時で良いのではと思います。